大人になるにつれて、どうして走ることが嫌いになってしまうのか

ランニング

皆さんは幼少期、どんな遊びをしていましたか?

ゲーム?鬼ごっこ?虫取り?おままごと?サッカー?野球?

小さい頃は遊ぶのが仕事みたいなものでたくさん遊んだと思います。

小さい頃は体を使って遊ぶのが楽しかった記憶があります。

幼少期は走るのが「面倒だから鬼ごっこはやらない」という子はいなかったのではないでしょうか。

むしろ無邪気に元気に走り回っている姿を想像する人のほうが多いと思います。

では、何故大人になると走ることが嫌になってしまうのでしょうか。

持久走

皆さんも体育の授業で持久走を経験したことがあるのではないでしょうか。

走りたくもないのに走らされる。かなりキツいですね。

僕自身、高校生の時に体育の授業で冬に持久走がありましたが、毎回毎回嫌で嫌で仕方がありませんでした。

おまけに冬にやるので寒くて走るどころではありませんでした…

しかし、持久走も嫌なことばかりではありませんでした。

授業の最初の頃は走って少ししたらもう横腹が痛くなって息は切れるしで楽しくありませんでしたが、授業後半になるにつれて少しづつ走ることに慣れてきてなんだか楽しくなっている自分がいました。

そんな持久走も走ることに慣れてきたぐらいで持久走の授業が終わってしまい「せっかく走れるようになったのに」と思った記憶があります。

部活の走り込み

部活動の一環として走り込みをした経験のある人も結構いるのではないでしょうか。

「走る必要ないのになんでうちの部活は走るんだろう」という人もいるかもしれません。

部活は楽しいですが、その練習しかも走り込みとなるとなかなかやる気にはならないと思います。

高校生ぐらいまでに走るのが嫌になる

以上のことをまとめると

  • 持久走で嫌になる
  • 部活の走り込みで嫌になる

といった感じではないでしょうか。

いずれにしても「自分から進んでやる」のではなく、「人にやらされる」というのが共通点のようです。

幼少期は誰からも強制される訳でもなく「自分から」ですので楽しかったのかもしれません。

このため、大人になると走ることに対して自然と嫌な思い出が蘇り走ることが嫌いになってしまうのかもしれません。

大人になってからランニングを好きになる人は自分から進んで走ることで、そこに何かしらの楽しさを感じた人のように感じます。

これからも自由気ままに走りたいものです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました